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サッカー監督という仕事

哲学、信念、言葉

3. August 2014

Pep-Guardiola-und-Jose-Mourinho

 

「イタリアでプレーしていたとき、スペインでプレーしていて頃のようなパスを出すのは忘れるんだ、イタリアのサッカーはプレースペースが狭いんだから、というようなことをよく言われた。私には理解できなかった。だってグラウンドの広さはスペインと同じなんだから。私がそこで見たのは、何人かの選手間のポジショニングと、それらの選手の動きが間違っていたんだ。それが、プレースペースが狭くなっていた唯一の理由だ」

 

このような言葉をグアルディオラが13年前に、ブレシアでプレーしていた頃に言っていたが、当時は誰も耳を貸さなかった。

 

彼は、自分の信念に基づいて、それをずっと言い続けてきたのであって、流行がどうだとか、時代がどうだ、とかとは無縁なところでずっとやって来たから、自分で何が出来て、出来ないのかを明確に理解できた。サッカー監督ってたぶん、そういう人がやる仕事で。

 

W杯で3バックが流行ったから、それをやろうとか、他のチームがそれで勝ってるから、そうやろう、というのはちょっと違うというか。チームのスタイルっ て、だから監督の哲学というか、自分が信じているサッカーにおける真理のようなものが最終的には表れるようになっているんだと思う。

 

だから、「サッカーはミスが起きるスポーツ」という前提で結果を追求していけば、モウリーニョのチームのようになるし、チームにいる選手がそれぞれストレスなくそれぞれの責任を果たせるバランスを見つけることを追求していけばアンチェロッティのようになる。

 

そういう意味で、チームって、善かれ悪しかれ、監督の考えや性格を反映させる鏡のようなものだと思っている。それだけ影響力が大きいわけで、正しいかはと もかく、こういう戦い方をするんだ、こういうチームにしたいんだ、ということを自分の言葉で伝えられないと、苦しい役割だといえる。

 

言葉を変えれば、自分の頭で、どれだけサッカーについて考えてきたか、が問われる仕事だといえる。FIFAやサッカー協会がどんなことを言ったとか、メ ディアがどう言っているかとか、そういうのは参考になりえるかもしれないツールでしかないわけで。

 

人に伝わる言葉は、自分の頭からしか出てこない。