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サッカーと言葉

サッカーにおける戦術と言語学における語用論

7. January 2014

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ホルスト・ヴァインの本の翻訳をしている。ドイツ語で何回も読んで、分かった気になっていたけど、母語に直しながら丁寧に読んでいくと、また、頭に入り方が変わってくるな。とりあえずはっきりしたのは、「戦術」というのは、言語と同じで、適切な言葉を適切な状況で使うことと同じ、ということ。

 

要は状況に応じて適切なプレーを選びなさい、と。本当に、言語学で言えば、プラグマティクスをサッカーでやりましょう、とそういうことなんだな。やっぱり、言葉を学習するプロセスとサッカーを学ぶプロセスはそんなに変わらない、という予想は外れてなかった。もっと言うと、たぶん複雑さも、一致する。

 

単純な比較として、大人が読むような小説を読み始めるのは何歳ぐらいだろうか。いわゆる純文学とか国語に出てくるのって、たぶん中学2年ぐらいだと思うんだけれど、たぶん、それぐらいが11対11のやり方を本格的にやり始める時期なんじゃないか。でも、それまでに7年間、段階を踏んだ蓄積が要る。

 

要は、どれだけ抽象的な情報を脳内で処理できるか、という話で。それはサッカーも言語に比例するんだと思う。サッカーで言う「実行」の段階って、たぶん発話の瞬間で、発音の問題で。それは身体で覚えるものなので、まあ、若いほど正確になる。

 

20歳前後でドイツ語始めて、話すのなんか、23過ぎてドイツに来てからで、発音なんか、もの凄いギクシャクしてるし、それでもどうにか通じるのは、まあ、状況に適した言葉を、それなりの文法に則したやり方で使ってるからで。要は、ボールの扱いが凄い下手なのに、試合ではそこそこやれる、という。

 

それは、どうにか、止める、蹴る、運ぶがかろうじて出来ていて、認知と判断の段階では適切なことをしている、というのに似ている。で、その認知と判断で必要になるのが、ボキャブラリー。言葉を知らないと、何も聞き取れないし、話せない。で、その言葉・文の「意味」の取り方を教えるのが国語の授業。

 

文脈を読み取る作業、論理を読み取る作業、辞書をひく作業とか、そういったものを学んだと思うんだけれど、サッカーでも、そういうことをしましょう、とそういうことなんだな。で、それは脳がどれだけ抽象的で複雑なものを理解できるか、という発達具合に合わせられていく、という。

 

なので、今シーズンは大人の女子チームを少しやったけど、今までの10歳ぐらいの子供に比べて、反応がすごく早かった。ボード見せて、この状況で、このプレーゾーンだからこの形式のゲーム、という感じでやって、わりとすぐに試合に出た。勝敗はともかく、練習でやったことがすぐに出るのは大人の方。